世界を変えた発明家 ~ジョブズ編~

こんにちは!「世界を変えた発明家」の連載最後となる今回は、アップル社の創設者であるスティーブ・ポール・ジョブズをご紹介します。彼の生い立ちや、アップル社で開発した製品に関するエピソードなどを紹介していきます。

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画像出典:https://wayohoo.com

1955年にアメリカのウィスコンシン州で生まれジョブズは、実の両親が結婚を認められず共に暮らすことが出来なかったため、養子縁組で出会った夫婦に育てられました。育ての親はジョブズに養子であることを隠さずに話し、「君は親に捨てられたのではない、私たちに選ばれたのだ」と何度も言っていたそうです。後にジョブズは「彼らは100%私の両親だ」と語っています。

機械工を生業としていた父ポール・ジョブズは、家の中でもよく工作をしていました。ジョブズはそれを後ろから眺めたり、時々手伝わせてもらったりしていました。そのため、幼少期から機械工作に興味を持っていましたが、積極的に工作するほどではなかったようです。

さて、学校に通い始めたジョブズ少年は、「学習意欲を出させない先生が悪い」という考えの下、全く勉強をしなかったそうです。しかし、4年生になったときの担任の先生はそうではなかったようで、勉強をするようになりました。お陰でジョブズは優秀な成績を収め、1年飛び級をして中学校にいくことになります。

その後、ホームズテッド・ハイスクールという高校に進学したジョブズは、友人の誘いでHP社の「探求クラブ」に入りました。探究クラブでは毎週どこかの研究所からエンジニアが来て、仕事内容などを話してくれました。ジョブズはものづくりが推奨されていたこのクラブで周波数カウンターを作ろうとしましたが、製作に必要な部品が手に入りませんでした。そこで彼はHP社のCEOに電話をかけて直接会いに行き、部品を入手しました。当時は個人の番号も電話帳に載っていたので可能でしたが、それでも大胆な行動ですよね。

大学へと進学したジョブズは必修などに必要性が見出せず、金の無駄だと考え二年生のときに大学を辞めてしまいます。その後、ジョブズはインドを旅したり、アメリカを放浪。旅を終えたジョブズは仕事を始めますが、その傍ら新しいビジネスを考えており、コンピュータに目を付けました。企業向けの製作・販売しかされていなかったコンピュータを、個人向けに製作・販売しようと考えたのです。これが後のパーソナル・コンピュータです。

この事業を始めるにあたってジョブズが設立したのがアップルです。社名の由来は、旅をしていたときの思い出、アルファベット順ですぐに出てくるように、尊敬していたザ・ビートルズのレーベル「アップル」から、など諸説あります。

パソコンの製造は全工程を手作業で、しかもそれを6人の従業員で行っていました。そんな苦労をして作った最初のパソコンの値段は666.66$。「666」という数字の並びは、「獣の数字」としてヨハネの黙示録に載っている、忌み嫌われている数字です。ところが、ジョブズはそれを知らず、ゾロ目が好きという単純な理由で採用しましたが、多くのクレームが寄せられたのは想像に難くありません。

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画像出典:https://dailynewsagency.com

ジョブズたちが作ったコンピュータの見た目は決して綺麗なものではありませんでした。それに対し、他の企業が作ったパソコンは、ジョブズたちのよりも性能こそ低かったものの、見た目は整っていました。当時は性能よりも見た目が重視されていたので、他の企業のコンピュータの方が人気でした。そこでジョブズは、次に作るパソコンはキーボードからモニタまで全てがそれ一台で完結させようと考えます。それを成功させたアップル社は、小さな会社から新興企業の中でもトップに躍り出ました。

現状維持を好まないジョブズが新たに考えたのは、画面上のアイコンをカーソルで選ぶことでアプリケーションを開くシステムでした。当時はマウスでカーソルを移動させるのではなく、キーボードのキーを叩いて移動させていたため、画期的な進化です。当時の技術的には難しいことでしたが、弱音を吐いたエンジニアは容赦なくクビにしていきました。ジョブズの妥協しない精神が現れているエピソードですが、なかなか鬼ですね。

そんなジョブズがパソコンの開発に関して特にこだわっていたのが、形状とフォントの二つです。パソコンの形状は個人向けに販売しているため、できる限り綺麗に見せる必要がありました。クラシックカーのような曲線美を目指したジョブズは、数々の試作品を作らせます。最終的にはまったく違いがわからないような細かい修正を何度もさせていました。

ジョブズのフォントへのこだわりは、大学時代に受けたカリグラフィーの講義から始まります。彼はパソコンにありとあらゆるフォントを対応させるほど強くこだわっていました。従業員はその意義をあまり理解していなかったようですが、フォントの美しさは印刷業にも影響を与え、アップル社に大きな収益をもたらしました。

後にジョブズは、売れない商品を作り赤字を出してしまったため、アップル社を辞めさせられ、映画会社ピクサーのコンピュータ部門に勤めることになります。そして、もう一度アップル社に戻ったジョブズが開発したのが、新しいコンピュータの形であるiPhoneです。

今回は記事が長くなってしまうため、ジョブズが初期のパソコンを作った時のエピソードのみを書かせて頂きましたが、アップル社は現在まで多くのコンピュータを世に送り出しているので、機会があったらそのエピソードなども書きたいと思います。お読み頂きありがとうございました!

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